2019年じねん舞踏日本ツアー公演フィードバック
2019 Japan tour performance feed back
★以下の文章は今回の私たちの日本ツアーでの舞踏公演『生と死の抱擁』を観て、文章を送って頂いた友人知人や舞踏家、評論家、の文章です、ありがとうございます。
志賀信夫(舞踊評論家)
イタリア在住、竹之内淳志が久しぶりに東京公演を両国シアターカイで行った。11年ぶりに見たソロは流石の円熟と小宮広子の絶妙な音楽で、震災以降の混沌と鎮魂と歓喜を示していた。
上田美佐子(シアターX-カイ-芸術監督/プロデューサー)
久しぶりの“竹之内淳志舞踏”を拝観いたし、命のエネルギーの貴重さと、生きているということの凄さとに思い至りました。
石井達朗(舞踊評論家)
いまグローバル化の時代が去り、アメリカもEU内でも自国第一主義に戻りつつあり、世界が揺れているような感じがします。そんなときこそ、舞踏の力、ダンスの力は大きいはず、竹之内さんと広子さんの変わらぬ活躍を期待しています。
身体とサウンドが互いになくてはならぬものとして時空を染めていたのが、印象に残ります。
デュオ公演と呼びたいものでした。
森下隆((慶應義塾大学アート・センター 土方巽アーカイヴ)
長年、ヨーロッパで活動され、現在はイタリアに拠点をおいて舞踏家として生きている竹之内淳志さんが来日されました。竹之内さんの年来の活動は、グローバルという手あかのついた言葉で収めようとはしていないと思われてなりません。ヨーロッパであれ日本であれ、舞踏は舞踏ですが、今日の舞踏と明日の舞踏はちがうはずです。それだけに、竹之内さんはたえず舞踏の境界に挑む姿勢をもって、愚者となり狂者となって活動しているともいえます。
今回は日本中を駆け抜けた舞踏の旅だったようですね。駆けるのは身体ですが、精神は魂振りとなって、人々の心に残ったことでしょう。それだけに、各地で迎えられ、竹之内さんの存在を強烈にアピールされたわけで、現在の竹之内さんの舞踏家としての姿勢をくっきりと示しています。
そして、今回のツアーでも広子さんの音楽が高く評価され、そのコラボレーションが舞台表現の成果となったことは、竹之内淳志が偏狭な舞踏家ではないことを証しています。
川本裕子(東雲舞踏)
正直言うと、『生と死の抱擁』というタイトルに、恥ずかしくなるような気持ちでいました。
でも暗闇から何かがゆっくりと立ち上がって舞台が始まると、私は刺激的で凝縮された時間にすっかり引き込まれていました。
何にでも真正面から向きあい、命の強さも弱さも受け止めて踊っている淳志さんは、神話に出てくる神様のように見えたりもしてすごくかっこよかったよ。
金景雲(舞踏家)
昨日のシアターカイでの竹之内淳志さんの舞踏公演を観に来ました。
8年くらい前にはじめて出会いましたが、舞踏の公演を目にしたのは今回はじめてでした。
昨日の公演の中で久しぶりに舞踏を観て全身全霊の祈り生きる姿を目にして、魂が震えるほどの感激の念と喜びが溢れて出てやまない時を過ごさせていただきました。
舞踏の道を歩み続けてくださった歩みに、舞踏を愛し踊り続けてきたピュアで強き熱き精神に、なお先のわからない未踏への神秘の遊びと冒険に一歩また一歩と歩みを続ける姿に、心より応援し感謝しいたします。
森嶋 拓(北海道舞踏フェスティバル主宰)
本日の竹之内淳志と田仲ハルの余市公演は、個人的にはこれまで関わってきた舞踏公演の中でも1、2を争うほどの素晴らしきものとなった。
札幌公演での数十年ぶりの二人の再会を経て、余市では二人とも即興、というよりはお互いの存在を改めて認識しあう対話であった。
ハルさんがずっと呼びたいと言い続けてきた竹之内さん、この二人の相性は素晴らしく火と水の兄弟のようであった。
二人の間にある長いストーリーに呼応するかのように、鰊番屋であった建物が飛びきりの輝きを放つ。
鰊漁の記憶、囲炉裏、月、ヤン衆達のなごり、物語が自然と掻き立てられる、というか見えてくる。
上下の異なる世界を作る舞台も、照明が独特の効果を生み興味深かった。
由良部正美(舞踏家)
竹之内さんが、スペースALS-Dに8年ぶりに踊りに来てくれた。来る度に懐かしい人、縁深い人を運んで来てくれる。
パートナーの広子さんと作り出した8年ぶりの舞踏は、その間のたゆまぬ内的対話の熟成を確実に感じさせてくれた。
内的対話とは、自分自身のカラダとの対話であり、又他者との対話である。
彼は常に他者を抱擁するように、自分の身体も抱擁する。それは、優しさと共に過激さの現れでもある。
彼とは、もう40年程、共に舞踏の世界を探求してきた仲で、それほど会う機会は多くはないけれど、数少ない一生の友の一人だ。
今回の彼の舞踏で、ゆっくりと謳い走りながら客席に消えていった彼のシルェツトは、私の中の彼の像そのものだった。
鎌田 東二(哲学者、宗教学者、詩人)
2019年4月28日(日)、竹之内淳志さんのじねん舞踏『生と死の抱擁』日本ツアー最後の公演を観た。
始まりに、舞踏家由良部正美さんの「露払いの舞」があった。
足、腰、腕、手、指、そして滑らかな動き。
そのすべてが修練されている。 熟成されたムーブメントだ。
小さな鐘を鳴らしながら、空間を身体で清める。
露払いであり、禊祓いである。
そして、一度暗転し、いよいよ「生と死の抱擁」。
10年ぶりに見る竹之内さんの舞踏は、さらに熟成発酵し、錬成されていた。
もともと、絞りに絞られ、練られに練られた竹之内さんの身体とムーブメントではあったが、足先から頭の先まで一点一画無駄な動きがなく、研ぎ澄まされ、練り上げられ、構成され、一貫した緊張感の中で、ドラマチックな起承転結ないし序破急を構築していた。
能のような優美で緩慢な水平的動きから、暗黒舞踏的な歪みを持った垂直軸を捻じ曲げるような動きに転じ、さらに衣装を剥いでいき、脱ぎ捨て、抱き締め、素裸で転がり、立ち上がり、呻き、叫び、謡う律動の中で、天啓のような生死の苦悩と感謝を、悲嘆と祈りを、90分、ソロで踊り切った。
見事である。というか、凄絶である。というか、「じねん」である。
「生死実相」
竹之内さん、この10年、休まず、たゆまず、修練に収斂してきたのですね。
その竹之内さんのじねん舞踏に音を添え、支え、食い込み、包み込み、貫き、突き抜ける小宮広子さんの音。パーカッション、チテラ、ヴォイス・・・。
インスツルメンツもサウンドもずいぶん厚みを持ち、進化してる。
公演後、拍手が鳴り止まなかった。
竹之内さんは、10年前はパリを活動拠点にしていたが、6年前からイタリアのピサの斜塔から車で20分ほどの芸術村に拠点を移して、そこでダンススクールを開き、世界中からやって来るダンサーたちに4ヶ月ほどのワークショップを行なっているとのことだった。
いやあ、よくやってるよ。すごいよ、竹之内さん。
パリのノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちたから、今度、機会があったら、パリで鎮魂のパフォーマンスをコラボしたいね。
シテ島のど真ん中で。ノートルダムの中か外で。そんなことを考えた。
残念ながら、打ち上げに参加できなかったが、帰りがけに紫野のえんま堂を拝した。
そして、賀茂川から神仏のお山・比叡を拝し、竹之内さんの「生と死の抱擁」日本ツアーに心から感謝した。
竹之内さん、広子さん、ありがとう!
2019 Japan tour performance feed back
★以下の文章は今回の私たちの日本ツアーでの舞踏公演『生と死の抱擁』を観て、文章を送って頂いた友人知人や舞踏家、評論家、の文章です、ありがとうございます。
志賀信夫(舞踊評論家)
イタリア在住、竹之内淳志が久しぶりに東京公演を両国シアターカイで行った。11年ぶりに見たソロは流石の円熟と小宮広子の絶妙な音楽で、震災以降の混沌と鎮魂と歓喜を示していた。
上田美佐子(シアターX-カイ-芸術監督/プロデューサー)
久しぶりの“竹之内淳志舞踏”を拝観いたし、命のエネルギーの貴重さと、生きているということの凄さとに思い至りました。
石井達朗(舞踊評論家)
いまグローバル化の時代が去り、アメリカもEU内でも自国第一主義に戻りつつあり、世界が揺れているような感じがします。そんなときこそ、舞踏の力、ダンスの力は大きいはず、竹之内さんと広子さんの変わらぬ活躍を期待しています。
身体とサウンドが互いになくてはならぬものとして時空を染めていたのが、印象に残ります。
デュオ公演と呼びたいものでした。
森下隆((慶應義塾大学アート・センター 土方巽アーカイヴ)
長年、ヨーロッパで活動され、現在はイタリアに拠点をおいて舞踏家として生きている竹之内淳志さんが来日されました。竹之内さんの年来の活動は、グローバルという手あかのついた言葉で収めようとはしていないと思われてなりません。ヨーロッパであれ日本であれ、舞踏は舞踏ですが、今日の舞踏と明日の舞踏はちがうはずです。それだけに、竹之内さんはたえず舞踏の境界に挑む姿勢をもって、愚者となり狂者となって活動しているともいえます。
今回は日本中を駆け抜けた舞踏の旅だったようですね。駆けるのは身体ですが、精神は魂振りとなって、人々の心に残ったことでしょう。それだけに、各地で迎えられ、竹之内さんの存在を強烈にアピールされたわけで、現在の竹之内さんの舞踏家としての姿勢をくっきりと示しています。
そして、今回のツアーでも広子さんの音楽が高く評価され、そのコラボレーションが舞台表現の成果となったことは、竹之内淳志が偏狭な舞踏家ではないことを証しています。
川本裕子(東雲舞踏)
正直言うと、『生と死の抱擁』というタイトルに、恥ずかしくなるような気持ちでいました。
でも暗闇から何かがゆっくりと立ち上がって舞台が始まると、私は刺激的で凝縮された時間にすっかり引き込まれていました。
何にでも真正面から向きあい、命の強さも弱さも受け止めて踊っている淳志さんは、神話に出てくる神様のように見えたりもしてすごくかっこよかったよ。
金景雲(舞踏家)
昨日のシアターカイでの竹之内淳志さんの舞踏公演を観に来ました。
8年くらい前にはじめて出会いましたが、舞踏の公演を目にしたのは今回はじめてでした。
昨日の公演の中で久しぶりに舞踏を観て全身全霊の祈り生きる姿を目にして、魂が震えるほどの感激の念と喜びが溢れて出てやまない時を過ごさせていただきました。
舞踏の道を歩み続けてくださった歩みに、舞踏を愛し踊り続けてきたピュアで強き熱き精神に、なお先のわからない未踏への神秘の遊びと冒険に一歩また一歩と歩みを続ける姿に、心より応援し感謝しいたします。
森嶋 拓(北海道舞踏フェスティバル主宰)
本日の竹之内淳志と田仲ハルの余市公演は、個人的にはこれまで関わってきた舞踏公演の中でも1、2を争うほどの素晴らしきものとなった。
札幌公演での数十年ぶりの二人の再会を経て、余市では二人とも即興、というよりはお互いの存在を改めて認識しあう対話であった。
ハルさんがずっと呼びたいと言い続けてきた竹之内さん、この二人の相性は素晴らしく火と水の兄弟のようであった。
二人の間にある長いストーリーに呼応するかのように、鰊番屋であった建物が飛びきりの輝きを放つ。
鰊漁の記憶、囲炉裏、月、ヤン衆達のなごり、物語が自然と掻き立てられる、というか見えてくる。
上下の異なる世界を作る舞台も、照明が独特の効果を生み興味深かった。
由良部正美(舞踏家)
竹之内さんが、スペースALS-Dに8年ぶりに踊りに来てくれた。来る度に懐かしい人、縁深い人を運んで来てくれる。
パートナーの広子さんと作り出した8年ぶりの舞踏は、その間のたゆまぬ内的対話の熟成を確実に感じさせてくれた。
内的対話とは、自分自身のカラダとの対話であり、又他者との対話である。
彼は常に他者を抱擁するように、自分の身体も抱擁する。それは、優しさと共に過激さの現れでもある。
彼とは、もう40年程、共に舞踏の世界を探求してきた仲で、それほど会う機会は多くはないけれど、数少ない一生の友の一人だ。
今回の彼の舞踏で、ゆっくりと謳い走りながら客席に消えていった彼のシルェツトは、私の中の彼の像そのものだった。
鎌田 東二(哲学者、宗教学者、詩人)
2019年4月28日(日)、竹之内淳志さんのじねん舞踏『生と死の抱擁』日本ツアー最後の公演を観た。
始まりに、舞踏家由良部正美さんの「露払いの舞」があった。
足、腰、腕、手、指、そして滑らかな動き。
そのすべてが修練されている。 熟成されたムーブメントだ。
小さな鐘を鳴らしながら、空間を身体で清める。
露払いであり、禊祓いである。
そして、一度暗転し、いよいよ「生と死の抱擁」。
10年ぶりに見る竹之内さんの舞踏は、さらに熟成発酵し、錬成されていた。
もともと、絞りに絞られ、練られに練られた竹之内さんの身体とムーブメントではあったが、足先から頭の先まで一点一画無駄な動きがなく、研ぎ澄まされ、練り上げられ、構成され、一貫した緊張感の中で、ドラマチックな起承転結ないし序破急を構築していた。
能のような優美で緩慢な水平的動きから、暗黒舞踏的な歪みを持った垂直軸を捻じ曲げるような動きに転じ、さらに衣装を剥いでいき、脱ぎ捨て、抱き締め、素裸で転がり、立ち上がり、呻き、叫び、謡う律動の中で、天啓のような生死の苦悩と感謝を、悲嘆と祈りを、90分、ソロで踊り切った。
見事である。というか、凄絶である。というか、「じねん」である。
「生死実相」
竹之内さん、この10年、休まず、たゆまず、修練に収斂してきたのですね。
その竹之内さんのじねん舞踏に音を添え、支え、食い込み、包み込み、貫き、突き抜ける小宮広子さんの音。パーカッション、チテラ、ヴォイス・・・。
インスツルメンツもサウンドもずいぶん厚みを持ち、進化してる。
公演後、拍手が鳴り止まなかった。
竹之内さんは、10年前はパリを活動拠点にしていたが、6年前からイタリアのピサの斜塔から車で20分ほどの芸術村に拠点を移して、そこでダンススクールを開き、世界中からやって来るダンサーたちに4ヶ月ほどのワークショップを行なっているとのことだった。
いやあ、よくやってるよ。すごいよ、竹之内さん。
パリのノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちたから、今度、機会があったら、パリで鎮魂のパフォーマンスをコラボしたいね。
シテ島のど真ん中で。ノートルダムの中か外で。そんなことを考えた。
残念ながら、打ち上げに参加できなかったが、帰りがけに紫野のえんま堂を拝した。
そして、賀茂川から神仏のお山・比叡を拝し、竹之内さんの「生と死の抱擁」日本ツアーに心から感謝した。
竹之内さん、広子さん、ありがとう!
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