2011年10月19日水曜日

じねん舞踏秋の通信から 10月竹之内淳志パリ公演のお知らせ


お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕と小宮は2月末日に日本に到着し、震災時の日本に3か月間と少し滞在し、6月頭にヨーロッパに戻りました。その後連続で公演やワークショップが続き、まさに10月まで一呼吸で4ヶ月が過ぎて行った感じです。久しぶりに皆さまに通信をさせていただいてます。

ここ数ヶ月間ヨーロッパの国を巡り、様々な国でのデモが起こり、民主主義と言っていた国が、警察を使い、市民を抑え、検挙し、政治は政府の利権のため動いているのを、直に様々な国の友人たちから聞きます。肌で直にヨーロッパの国々も揺れているのを感じます、きっといま世界中が揺れているのでしょう。
如何なる時代が待ち受けているのかと不安にもなりますが。踊ることが僕の唯一の自由に向かっての表現だと信じ、今ここで生きているのを大切に踊って行こうと思います。

下記は、6月から秋までの活動報告です。

-6月パリ公演『記憶の海』で舞踏フェスに参加、これは日本での4月東京公演、5月豪雨の中の、静岡の樂土舎と安倍奥公演に続く形で、日本から音楽家の長屋和哉さんにも参加していただき、小宮 広子と共に上演。その後長屋氏と小宮はポーランド4都市コンサートツアー。
-7月恒例のイタリア、ポンタデラ市での一カ月集中じねん舞踏ワークショップ。
-8月ドイツベルリンから北にあるブローリンにて吉岡由美子とデルタ・ライの主催する舞踏ワークショップフェス、『eX...it! ’11』に舞踏家のAlessandro Pintus、岩名雅記、デニス・フジワラ、ケン・マイ(ケン五月)、石川さちこ、タカシ岩岡、Bataritaと共に参加。ワークショップ参加者と共に、僕は振付でBataritaと組みフィジカルシアターと舞踏を組み合わせた作品を創作。 

-8月末、アテネの円形劇場でギリシャ神話を主題にした内容で、ギリシャのコンテンポラリーダンスグループ "syn + ergasia"の公演に参加。
-9月フランスピレネー山脈山中の自然の中での舞踏ワークショップ。
-9月から10月にイギリスのブライトン近郊の2か所の太古の遺跡のある場所にて、パフォーミングアートグループのRed Earthの公演プロジェクトに参加。(先日のブログに写真アップしています。)

 

現在10月はパリの天理日仏文化協会開設40周年行事にて、1週間連続で2本のソロ公演を上演することが出来る運びになりました。


Paris天理日仏文化協会開設40周年記念 
竹之内 淳志 JINEN舞踏公演

3月11日に起こった東日本大震災と福島原発事故から3か月間を日本で滞在し、東京、京都、大阪、神戸、静岡にて公演活動を行った竹之内淳志と音楽の小宮広子がともに送る2本の舞踏公演「じねん - 千の滴、千の花 -」「Stone」。地球からもらったこの生命を慈しみ、生と死を超えて祈る、生命の踊り、JINEN舞踏を天理日仏文化協会開設40周年行事にて上演。

演出、舞踏:竹之内 淳志
音楽 : 小宮 広子 (水、石、竹、鈴、声、他)
照明 : Margot OLLIVEAUX



『 じねん - 千の滴、千の花 - 』
2011年10月17日(月)〜19日(水) 20時30分開演



降りしきる千の雫、
どうぞ母なる大地よ、その雫を抱き留めて、
千の花を産め。
一本の樹の様に。
 
目を閉じて、深く呼吸をする、、、、生きているこの身を感ずる。
生きている今に、深く感謝する。
 
2011 年3 月11 日に起った、東北での地震原発災害で多くの人が住む場や仕事、そして命までも
失いました。もし、東北では無く、大阪京都が震源であったら、自分たちがその立場になっていた
のかもしれません、、、。助かった、、、でも大きな痛み感じるその時、私の心の中によぎった想い、
それは、被災された人々は私たちの代わりに様々な苦難や苦境に面し、そこで生きている。
命を落とされた方々は、今息をする私たち皆の代わりに逝かれたのかもれない。
同時に、私たち皆が一本の大きな樹であれば、私たちはそのカラダの一部を失っているのだろう。
 
そうすると、世界中様々な地域で起こる、
天災や戦争で被災されたり亡くなっていった人も動物も植物も
今息をする私たち皆の代わりに命を失い同時に、
それはきっと一本の樹の様に、私たち自身の痛みなのだろう。
 
もし、父母や祖父母が存在しなければ、祖先が存在しなければ私たちは存在していない様に、
私たち全ての生命の遙かな祖先の根をたどれば一本の樹の様に繋がっている。
だから、体の一部を失っていくように痛むのだろう。
 
そして一本の樹の根であった祖先が私たちの生命を作ってくれたように、
逝かれた全ての生命の、一生を懸けた努力の上に、私たちは生かされている。
それが私たちのこの生命であれば、
天災で命を失っていく生命もこの樹の新緑の葉や地中深い根であったのかもしれない。
そして、樹である私たち全てに生命を送り、私たちを育ててくれたのだろう。
私たちは亡くなっていく生命に生かされ、同時にこの樹の様に私たちのカラダの一部を失って
痛いのだろう。私たちは忘れているが、一本の樹だったのだ。
 
だから私は踊りたい。
私たちを生かしてくれて、同時に私たちの一部であった生命を思い出したいのです。
そして痛みを越えて樹が花を産む、生命たちの全てが生命を懸けて育むその花に
一瞬でも触れてみたいと思うのです。
天から千の雫が落ちる、
その無数の雫は、樹に生命を与え、花をあたえる。
無数の雫が天から落ちる。
 
                                        竹之内 淳志



『”Stone ” - 僕は石、宇宙のかけら –』
2011年10月20日(木)〜22日(土) 20時30分開演

1996年より日本中を3年半あらゆる自然のもとで野・山・海…・・で感じたままを踊りにしてきた竹之内が一つの石をテーマにした作品をつくった。この作品は1999年6月韓国ソウル・シアターゼロで行われた韓日ダンスフェステイバル招待作品と初演。その後、京都、パリ、アビニヨン、ワルシャワ、ニューヨーク、ウィーン、プラハ、オスロ(ノルウェー)、ベルリン、ミンスク(ベラルーシ)、大野一雄舞踏研究所(東京)、イタリー、ベイルート(レバノン)、ポンディシェリ(インド)、ロンドン等で上演を続ける。



石とは長い時の中で形成されたものであり
以前は地表にある土であったものが積み重なって深い地層の場所で岩になったものが
また地表に現れくだけ、人の手に持てるほどの石になった
以前土であった石は内部に植物の種や数々の小さな生物がふくまれていたはずだし
それを食べていた動物たちの死骸の一部であったりもするはずだ
そこに根を張った木は太陽の光とその土から栄養をうけて大きく育つ

このように小さな石でありながら長い時間をさかのぼっていけば 
小さな石は 地球の全てと繋がっているひとつの証しである
その小さな石の過ごしてきた過去と未来を踊る










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