2012年4月30日月曜日

2012 Japan Tohoku tour report 東北ツアー&横浜、大阪、京都公演じねん舞踏通信

--通信2012年3月22日--
東北十ヶ所公演ツアーも無事終了。公演と同時に、一般対象のワークショップから、知的障碍のある方たちの施設、小中学校、保育園、被災地の学校等のワークショップを合わせ、宮城県南部角田市、仙台、山形、気仙沼、岩手県陸前高田、大槌、弘前、青森、そして3月11日に宮城県七ヶ宿の白炭での美しい雪の野外追悼公演を終え、公演ワークショップを合わせ計16か所で行ってきました。

From the 1st March, we  were in Northeast part (Tohoku) Japan including tsunami and earthquake stricken area for touring and prayed and danced and made workshop with children, mentally disable people, and students. We also visited local community, farmer, fisherman, temporally housing in disaster stricken area, nature side...  It was fully deeply touching moments everyday to meet people, place, the nature there. We thought many things, we got many emotions, we got a lot of beautiful energy from children.


仙台荒浜 at Ara beach, Sendai, Miyagi pref  ph by Isao Ushizawa


仙台荒浜 ph by Isao Ushizawa
仙台市荒浜、ここは3.11の時津波で壊滅的な被害を受け多くの多くの方のご遺体が流れ着いた所です。1年後の3月。その3月1日東北巡演ツアーの初日に、ここに牛澤さん立石美穂さんに連れて頂き、ひそやかに祈りの踊りをさせていただきました。その夜、仙台でのじねん舞踏公演『千の雫、千の花』追悼と再生に-を踊らせていただきました。牛澤さんその時の照明もありがとう。この日あの荒浜に向かうことができなければ、あの仙台公演をあのように深くは踊れなかったと感じています。

牛澤さんからのメッセージ
『 昨日は貴重な体験をしました。竹之内さんと野外での舞踏。空気が澄み 色んな音が竹之内さんと自分の身体とつながり一体となる。ヘリの音、車をスクラップする時の金属音、全てのチャクラが開く感じ ありがとうございます。いい体験でした。
竹之内さんとの出会いで気づいたこと。自然と同調する竹之内さん。あらゆるものが個であり、集合であり、それが全体であること。頭では分けようと働くのでギクシャクする。
個であり、集合であり、それが全体でもある。そして、常に同時である。竹之内さんありがとう!』

Miyagi prefecture, Sendai city, Ara beach, this area was devastatedly damaged by Tsunami last year on March 11th, 2011. And many lost life were drifted and reached here. One year after this Month, on 1st March I came here with Mr.Ushizawa a...nd Miho Tateishi, my long friend, I spent quiet time and prayed and danced respectfully from my heart. It was the first day of my Northeast Japan tour. Then on the same evening, I performed JINEN Butoh "mille gouttes, mille fleurs" for requiem dance. I deeply appreciate for this quiet moments there. This place, the air, and silent moment, this memory made me to move my body. I send my deep prayer...



仙台荒浜 ph by Isao Ushizawa

On March 11th, we were in mountain side next prefecture to Fukushima, the field was totally covered by deep white snow. We made prayer dance and music on the snow in front of forest in local community. Mid day, we made short workshop with village people under shining sun. We made one big circle and one tree in the end. Everybody make big smile, and children's voice was very sweet.  Then, at 14:46pm at the same time of disaster last year, we all made prayer, all over Japan, all people was making prayer at that time.  Through this touring, we appreciate this meeting with local people and the lands, and the conversation with people that how we have to survive life, how to live life from now on. We send our big respects from heart.


宮城県七ヶ宿 白炭の佐藤さんの炭焼き窯前  Shichikasyuku, Miyagi pref,  March 11, 2012



七ヶ宿の白炭 佐藤光夫さんが焼いた白炭を演奏に使わせていただきました。
beautiful sound of white charcoal made by Mitsuo Satoh ( Shichikasyuku, Miyagi )


七ヶ宿 雪上でのワークショップ workshop on the snow in Shichikasyuku


七ヶ宿公演 クリスタルボールの遠藤さんにも急遽共演していただいた。
下記のブログにも公演レポートかいていただいてます。
http://crystallin.blog36.fc2.com/blog-entry-335.html (遠藤園子さんブログ)
http://hakutan7.blog.fc2.com/blog-entry-127.html (七ヶ宿佐藤さん山通信ブログ)



七ヶ宿公演後、午後14:46を迎え1人ずつおりんを鳴らして黙祷と祈りを捧げました。
Shichikasyuku, Miyagi pref,  March 11, 2012
After dancing on the snow, the time became 14:46. We pray and stayed together deeply.


陸前高田や大槌町キリキリ町の保育園や小学校のワークショップ、その保育園や学校の眼下は遙か海まで全ての家を失っていました。そんな未だに厳しい状況の被災地にありながら、共にその子達と踊るワークショップで輝く子ども達の目に出合い、生命の力強い力を感じました。
気仙沼市での未だに大きな船の乗り上がったままの場での高校生に向けての追悼の舞踏。
山形、仙台、青森等での20年振りの友達との出会い、、、。本当に深く、様々な出会いにありがとうございました。
そして、このツアーの纏めと報告として、横浜の大野一雄舞踏研究所にて3月13日公演を無事終了しました。

宮城県柴田町船岡小学校ワークショップ workshop at Funaoka elementary school in Miyagi, pf by Atsuko Ono

宮城県 柴田町船岡小学校ワークショップ ph by Atsuko Ono


宮城県 柴田町船岡小学校ワークショップ ph by Atsuko Ono



岩手県大槌町キリキリ堤乳幼児保育園ワークショップ 


宮城県角田市金津中学校ワークショップ workshop at Kanatsu Junior highshool, Miyagi


宮城県角田市金津中学校ワークショップ workshop at Kanatsu Junior highshool, Miyagi
最後に皆で大きな円をつくり一つの木をつくった。we made one big circle to make one big tree together.

三陸大船渡碁石海岸 鮮魚店シタボさん店先にて
自宅は津波で流されてしまいましたが、お店は高台だった為現在も
鮮魚店をつづけておられます。店先で踊らせていただきました。
http://sea.ap.teacup.com/sitabo3312/  (鮮魚店シタボのhp)

青森市ゆきわり荘 福祉施設でのワークショップ
workshop at Yukiwarisou, social facility,  Aomori city

青森鳴海要記念陶房館公演 ph by Tomohisa Saitoh
Aomori Narumi Kaname Touboukan 

青森鳴海要記念陶房館公演 ph by Tomohisa Saitoh
Aomori Narumi Kaname Touboukan

横浜 大野一雄舞踏研究所公演 ph by Noriko Yamamoto
PF at Kazuo Ohno Dance Studio , Yokohama
横浜 大野一雄舞踏研究所公演 ph by Noriko Yamamoto
PF at Kazuo Ohno Dance Studio , Yokohama



--通信2012年4月3日--
即興じねん舞踏「千の雫、千の花」-追悼と再生- 京都 大阪 公演も終了し、ヨーロッパに戻るのも1週間後です。今回の3月1日から始まった東北ツアーに繋がる全ての公演ワークショップが無事終了しました。ありがとうございます。

「千の雫、千の花」最終公演4月1日大阪フォトギャラリー・サイでの舞踏は、福島の被災地を中心に写真を撮り続けた、写真家:小原一真氏の写真展の最終日の会場でした。
福島第一原発の作業員の人達、今現在も尚そこで働く下請け孫請けの作業員一人一人のポートレイトに囲まれ、今もある意味で、命を投げ打って、再度爆発の起らない様にそこで働いている、その彼らの目に見守られ、踊りを終えることが出来ました。

ポートレイトの彼らの実に多くが、福島で原発事故に被災し避難をさせられ、家を失い職を失い、家族は危険区域外に避難生活を余儀なくさせられている。彼らは義援金に頼らず自立した生活を望み仕事を探すが、その避難区域に近いエリアではこの原発の作業員位しか仕事がない現実。。。僕らと本当にちっとも変わらない普通に家族もある彼ら、福島のその地域に住んでいたことにより、たまたま被災した彼らの語りが文になりポートレイトの下に貼ってある。普通の生活者である彼らの人生を垣間見ることが出来る。
原発事故で被災し、そのことにより原発事故現場で働く彼らの語り。。。
『それでも福島から離れたくない、家族と離れない、誰かがしなければ、郷里どころか日本が終わってしまう。』そんな思いがそのポートレイトの彼らの目から私たちに伝わる。
そしてその目が僕の踊りを静かに見守ってくれている。

正直少し怖かった、、、。
本当の思いを踊る。僕にできることはそれしかない。何もできない祈る事しかできない、踊る事しかできない自分。はじめの一歩であり、最後の一歩まで誠意をもってその場と向き合い一息に踊り切っていく。
共に歩んだ来た音楽の小宮 広子が、一瞬一瞬の空気の変化を感じ取り、音として場の緊張感を紡いでいく。

大阪公演 at Photo garelly SAI, Osaka
at photo exhibition "3.11" by Kazuma Obara  

踊りの終りに、ポートレイトの彼らは、少し微笑んでくれたような気がする。
そのポートレイトの見守る中での舞踏の目撃者である観客もこの空気の変化を感じ取ってくれた様に僕には感じられた。



*小原一真写真集「Reset Beyond Fukushima-福島の彼方に」出版
写真展、大阪:STANDARD BOOK STORE 心斎橋
期日:4月2日(月)〜4月12日(木)

小原一真オフィシャルサイト 写真集『Reset Beyond Fukushima』 / 写真展『3.11』
http://kazumaobara.com/2012/03/reset-beyond-fukushima311.html
Photo book by Kazuma Obara  "Reset – Beyond Fukushima"  : offering a voice to the workers at Fukushima Daiichi
http://www.senrinomichi.com/?p=5518


東北の被災地で僕が学んだこと、
それは今を感謝し、生きること。
何時どんな災害が起こるかわからぬ大自然の中。
地震が起き、原発災害という人災が起き、
その受け入れざるを得ない、すべてを受け入れ、
耐え忍び、今日を精いっぱい生きている人達や友人がいる。
そのことを忘れず、そのことを深く胸に、
踊り続けていきたいと感じました。。。。

新聞やマスコミはこの震災の報道の頻度を
今後さらに少なくしていくかもしれませんが、
震災後の三陸の海岸沿いの道をたどり、僕が感じたことは、
瓦礫が一応山の様に積まれただけで、
未だ全く収束していないと感じました。


*瓦礫を如何に、これは日本全国多くな問題になっています。
瓦礫が命を守る森にというプロジェクトがあります。
今年3月11日宮城県の七ヶ宿で素晴らしい方法を聞きました。国や建設省の建設しようとしているコンクリートの防波堤は、東北の沿岸沿いの津波を受けた人達は皆知っています、鉄筋コンクリートは劣化し壊れます。僕も壊れた防波堤をいっぱい見ました。それを瓦礫で防波の森にする発想です。劣化せず幾千年も成長し続ける森。日本一樹を植えた老人宮脇 昭氏の発想で今大きな波紋を招いてます。
なぜ瓦礫をダンプとガソリン使い全国に運び、巨大なコンクリ防波堤を作るか、それからゼネコンの匂いを感じるのは僕だけでしょうか。詳しくは  http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11184171823.html
瓦礫を活かす「森の防波堤」が命を守る: 植樹による復興・防災の緊急提言 (学研新書)/宮脇 昭
 

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